昭和の沖縄島巡り

昭和の沖縄島巡り、懐かしさがこみ上げる紀行文と歌の数々です

■昭和の沖縄島巡り<<ばんがむり(我んが守り)(宮古島①)>>■

◆行った所: 宮古島(平成3年(1991年))<O025>◆


▲『ばんがむり(我んが守り)』の歌詞<1>
我んが守り ぶどゥわさば ヨーイヨイ
姉が漕ぎ  ぶどゥわさば ヨーイヨイ ホーイイー     

(大意) 
わたしが子守をして育ててあげるからね ヨーイヨイ
姉さんがゆらりをしてあげるからね ヨーイヨイ ホーイイー

  
▲『ばんがむり(我んが守り)』の風景
・背中の子供をゆらしながら、子守りのお姉さんがやさしく歌いかける「ばんがむり(我んが守り)」は、宮古島を代表する子守唄です。

・私の知り合いの宮古のオバサンも「子供の頃、おかあさんによく歌ってもらった」と、話しておりました。

宮古島の南東部に突き出た東平安名岬です。

▲『ばんがむり(我んが守り)』の歌詞<2>
大芋やちか 分りゃあずだまな ヨーイヨイ
小芋やちか 一個だまな ヨーイヨイ ホーイイー     
 
(大意) 
大きなお芋だったら 分けてあげようね ヨーイヨイ
小さなお芋だったら まるごとあげようね ヨーイヨイ ホーイイー


▲『ばんがむり(我んが守り)』の魅力
・私が考える「ばんがむり」の魅力を上げてみます。

◎『高低の対比がはっきりした魅力的なメロディー』
⇒ 前半と後半の高低の対比

◎『1オクターブにもおよぶ音域の広さ』
⇒ この音域の広さは、子守唄としてはとてもめずらしいです

◎『余韻が残る曲の終わり方』
⇒ 最後のミシソーの部分(ドで終了していない)

・「ばんがむり」のメロディーをたどると、オペラのアリアにも比肩しうるような高い音楽性を、私は感じます。

◎東平安名岬の灯台側から見た景色です。

宮古島の歌の優しく魅力的なメロディー
・「ばんがむり」だけでなく「豊年のアヤグ」「なりやまのアヤグ」「伊良部トーガニ」等宮古島の歌の特徴は、優しく魅力的なメロディーにあると、私は思います。また、何かそこに懐かしさを感じる私です。


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・68.ばんがむり(ボーカロイド版)(2分32秒)
・ばんがむりを混声四部合唱に編曲してみました
・曲:宮古島の子守唄 編曲:南波照間 雅彦

■昭和の沖縄島巡り<<多良間島(26枚)・写真集2(多良間⑤)>>■

多良間島(26枚)・写真集2(平成3年(1991年))<O024>◆

 

01_多良間島_八月踊り_塩川01:真剣な表情が清々しい男の子達の舞いです。

02_多良間島_八月踊り_塩川02:日の丸に、昇り龍が舞い上がる舞台です。

03_多良間島_八月踊り_塩川03:花笠を手に優雅に古典舞踊が踊られます。

04_多良間島_八月踊り_塩川04:琉球王朝時代、琉舞は男が踊るものでした。

05_多良間島_八月踊り_塩川05:棒の当たる音が、会場中に響き渡ります。

06_多良間島_八月踊り_塩川06:三人で「貫花(ぬちばな)」の古典舞踊です。

07_多良間島_八月踊り_塩川07:クワッチー(御馳走)を持ったアンマー(母親)達の入場です。

08_多良間島_八月踊り_塩川08:二人で優雅に「かせかけ」の古典舞踊です。

09_多良間島_八月踊り_塩川09:ユニークな踊りで観衆の笑いを誘った「ヨーイシー」です。

10_多良間島_八月踊り_塩川10:踊っている本人達も楽しそうな「ヨーイシー」です。

11_多良間島_八月踊り_塩川11:ハチマキ姿でコブシを握り、軽快に踊ります。

12_多良間島_八月踊り_塩川12:小さな黄色い笠がワンポントの若衆(わかしゅう)踊りです。

13_多良間島_八月踊り_塩川13:子や孫を引き連れ、幸福や豊年を願う「長寿の大主」の登場です。

14_多良間島_八月踊り_塩川14:手にカジマヤー(風車)を持った子供達の踊りです。

15_多良間島_八月踊り_塩川15:四竹を鳴らしながら、軽快に踊ります。

16_多良間島_八月踊り_塩川16:凛々しく踊る息子の姿に「長寿の大主」も満足でしょう。

17_多良間島_八月踊り_塩川17:両手で子供の手を握り歩む親と親に従う子供達です。

18_多良間島_八月踊り_塩川18:組踊り「忠臣公文組-名忠臣身替」の一場面です。

19_多良間島_八月踊り_塩川19:組踊り「忠臣公文組-名忠臣身替」の一場面です。

20_多良間島_八月踊り_塩川20:組踊り「忠臣公文組-名忠臣身替」の一場面です。

21_多良間島_八月踊り_塩川21:物語の見せ場、戦いの場面です。

22_多良間島_八月踊り_塩川22:物語の見せ場、戦いの場面です。

23_多良間島_八月踊り_塩川23:物語の見せ場、戦いの場面です。

24_多良間島_八月踊り_塩川24:酒を二升も口に入れた塩川の勇壮な獅子舞です。

25_多良間島_八月踊り_塩川25:「八月踊り」も終わりが近づいてきました。

26_多良間島_八月踊り_塩川26両手に酒、両手に収穫物を持って喜びあふれるオジサン達登場です。

 

■昭和の沖縄島巡り<<多良間島(24枚)・写真集1(多良間④)>>■

多良間島(24枚)・写真集1(平成3年(1991年))<O023>◆

 

01_多良間島_八月踊りの前に1:八月踊りの舞台となる御願所(ウガンジョ)です。

02_多良間島_八月踊りの前に2:この舞台で八月踊りが催されます。

03_多良間島_八月踊りの前に3:御願所(ウガンジョ)です。

04_多良間島_八月踊りの前に4:八月踊りの無事を神様にお願いします。

05_多良間島_八月踊りの前に5:八月踊りの開催を神様にお伝えします。

06_多良間島_八月踊りの前に6:八月踊りの朝、空は青々と晴れ上がりました。

07_多良間島_八月踊り_仲筋01:勇壮な獅子舞、「多良間の八月踊り」の始まりです。

08_多良間島_八月踊り_仲筋02:頭の飾りも煌びやかな二人の娘さんの踊りです。

09_多良間島_八月踊り_仲筋03:島の伝統武術である「棒術」の迫力ある演舞です。

10_多良間島_八月踊り_仲筋04:二人の息もピッタリ合った「棒術」の演舞です。

11_多良間島_八月踊り_仲筋05:引き込まれるような素敵な演舞です。

12_多良間島_八月踊り_仲筋06:両手の扇を広げ、頑張って踊る女の子達です。

13_多良間島_八月踊り_仲筋07:若衆(わかしゅう)踊りの入場です。

14_多良間島_八月踊り_仲筋08:若衆(わかしゅう)踊りは、弾んだ踊りが特徴です。

15_多良間島_八月踊り_仲筋09:少女の踊りには、何か神聖なフインキがします。

16_多良間島_八月踊り_仲筋10:見る人達に一息入れさせる、超モダンな踊りです。

17_多良間島_八月踊り_仲筋11:花をかざして少女達が踊ります。

18_多良間島_八月踊り_仲筋12:少年達も負けずに、若衆(わかしゅう)踊りに挑戦です。

19_多良間島_八月踊り_仲筋13:祝いの舞、鷲ぬ鳥(バスントゥイ)節です。

20_多良間島_八月踊り_仲筋14:優雅な「かせかけ」の古典舞踊です。

21_多良間島_八月踊り_仲筋15:コミカルな狂言の演目に、会場は笑いに包まれます。

22_多良間島_八月踊り_仲筋16:孫を引き連れて「福禄寿の舞い」の始まりです。

23_多良間島_八月踊り_仲筋17:黒いあごひげをたくわえ、軍配を持って登場した「長寿の大主座」です。

24_多良間島_八月踊り_仲筋18:組踊り「忠孝婦人」の一場面です。


















■昭和の沖縄島巡り<<僕の多良間島(多良間島③)>>■

◆行った所: 多良間島(平成3年(1991年))<O022>◆


▲『懐かしい安らぎが(多良間島を想いながら)』の歌詞<1>
寝つけず閉じたまぶたに 浮かぶ島              
静かな安堵の心 近づくよ     
川の流れる音と 豊かなウージの波      
懐かしい安らぎが 島を包んでる

◎八月踊りの朝、空は青々と晴れ上がりました。

多良間島には二回行きました
・私のオリジナル曲『懐かしい安らぎが(多良間島を想いながら)』です。大学の同期が教員をしていた関係もあり、多良間島には二回行きました。

・教員の友人のバイクを借りて、島内をくまなく走り回った時の強い印象をベースに、その上澄み透明部分からこの詩と曲ができました。


▲『懐かしい安らぎが(多良間島を想いながら)』の歌詞<2>
明日を煩う心に 浮かぶ島
僕のあいさつに答える 島の人
ヤギの声が聞こえる 島人の笑顔がまぶしい
懐かしい安らぎが 島を包んでる

◎ユニークな踊りで観衆の笑いを誘った「ヨーイシー」です。

▲「沖縄に帰りたい!帰れない!」の東京勤務
・東京勤務だったあの当時「沖縄に帰りたい!帰れない!」という強い思いの真っ只中の、多良間島訪問でもありました。

・「僕のあいさつに、笑顔で答えてくれる島の人」
-ただそれだけの事ですが、あの時の僕には、強く心に残るでき事でした。


▲『懐かしい安らぎが(多良間島を想いながら)』の歌詞<3>
人生のめまいの中 浮かぶ島
はるかな祭りのにぎわい 聞こえ来る
楽しげに踊る島人と 素朴な輝き組踊り
懐かしい安らぎが 島を包んでる

◎両手に酒、両手に収穫物を持って喜びあふれるオジサン達登場です。

▲「多良間の八月踊り」 = 楽しげに踊る島人と 素朴な輝き組踊り…
・島民全員参加の「多良間の八月踊り」は、見る人を飽きさせない総合演芸会です。約20キロ平方の小さな多良間島で、約9時間もの演目を打てる事自体、とても、すごい事です。

・客席から見る多良間島の人々は、与えられた演技や踊りを、子供から大人まで真剣な表情で努め上げます。とても、美しい姿です。

・出演者の一人だった子供が、島を離れる事になっても「八月踊り」で踊った事を忘れず、また「八月踊り」を踊りに戻って来ると思います。とても、嬉しい事ですね。


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・109_懐かしい安らぎが(多良間島を想いながら)<UP版>(3分45秒)
多良間島に、懐かしい安らぎを見出した私でした。
・作詞・作曲:南波照間 雅彦 歌:南波照間 雅彦

■昭和の沖縄島巡り<<多良間の八月踊り2(多良間島②)>>■

◆行った所: 多良間島(平成3年(1991年))<O021>◆


人頭税の苦しみと「八月皆納税」「八月御願」
・1637年から宮古八重山に強いられた人頭税の厳しい取立てに苦しめられた島民は、納税が終わる旧暦8月に「八月皆納税」「八月御願」と称して、各御獄に皆納報告と豊年祈願の奉納踊りを行い、それが年中行事化しました。

◎真剣な表情が清々しい男の子達の舞いです。

▲「多良間の八月踊り」の起源
・「多良間の八月踊り」の起源は定かではありませんが、年中行事化した民俗踊り中心の「八月皆納税」「八月御願」に、明治以降、古典踊りや組踊りが加えられて、現在の形となったと考えられています。

◎クワッチー(御馳走)を持ったアンマー(母親)達の入場です。

▲神前で、島民はこぞって、奉納踊りを舞います
・厳しい人頭税の取立てを皆納できた喜びを爆発させる様に、神前で、島民はこぞって、奉納踊りを舞います。

・現在も、若者はもちろん、子供から老人まで、島民全員参加で「多良間の八月踊り」が、三日間に渡り奉納されます。

◎組踊り「忠臣公文組-名忠臣身替」の一場面です。

▲「多良間の八月踊り」は、永遠に!
・約20キロ平方の小さな多良間島で、島民全員参加で約9時間もの演目をうてる事自体、すごい事だと思います。

・出演者の一人だった子供は、大人に、更に老人になっても、「多良間の八月踊り」の重要な出演者の一人であり続ける事でしょう。


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・伊良部トーガニー(4分51秒)
・情感あふれるメロディーに、心癒されます。
・曲:伊良部島の民謡 歌:友利栄次

■昭和の沖縄島巡り<<多良間の八月踊り1(多良間島①)>>■

◆行った所: 多良間島(平成3年(1991年))<O020>◆


▲「多良間の八月踊り」は「国指定重要無形民俗文化財
多良間島は、宮古島石垣島の中間に位置する小さな島ですが、旧暦の八月、三日間にわたり開催される「多良間の八月踊り」は、島人の手による見事な組踊り(くみおどり)が演じられる事もあり、「国指定重要無形民俗文化財」に指定されております。

◎勇壮な獅子舞、「多良間の八月踊り」の始まりです。

▲「多良間の八月踊り」は、三日間開催
・「多良間の八月踊り」の一日目は、仲筋の土原(ンタバル)御願所で行われ、二日目は塩川のビトマタ御願所で行われます。この二日間は、お互いをお客様として客席に招待します。三日目はそれぞれの御願所で開催して、踊り納めとします。

◎優雅な「かせかけ」の古典舞踊です。

▲「多良間の八月踊り」の演目
・「多良間の八月踊り」は、勇壮な獅子舞で始まり、若衆踊り、古典舞踊などの演舞、荘重な組踊りと続く、約九時間の大舞台となります。

・組踊りの演目は、仲筋が「忠臣仲宗根玄雅公」、塩川は「忠臣公文組-名忠臣身替」などが演じられます。

◎黒いあごひげをたくわえ、軍配を持って登場した「長寿の大主座」です。

▲沖縄の組踊りと本土の歌舞伎
・組踊りの音楽は琉球古典音楽で、台詞は琉歌調となっておりますが、本土の歌舞伎に強い影響を受けた、沖縄版歌舞伎と言えるかと思います。 

・「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」という有名な組踊りがありますが、これは歌舞伎の「娘道成寺」の影響を受けていると言われております。


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・あやぐ(5分44秒)
・メロディーの絶妙な動きに、心躍る名曲です。
・曲:沖縄本島の民謡 歌:棚原健太

■昭和の沖縄島巡り<<石垣島・写真集(石垣島⑤)>>■

石垣島・写真集(21枚)<昭和60年(1985年)><O019>◆

01_石垣島_島影:石垣島のなだらかな島影です。

02_石垣島_八重山民族園1:名蔵湾の網張(アンパル)にある八重山民族園です。

03_石垣島_八重山民族園2:広々と開放的な沖縄旧家の屋内です。

04_石垣島_八重山民族園3:「漁と漁具」の展示です。

05_石垣島_八重山民族園4:「しまの祭典」のパネルです。

06_石垣島_アンガマ:アンガマは、石垣島の旧盆の主役です。

07_石垣島_ミルク(弥勒)様:ミルク様は、五穀豊穣の神様です。

08_石垣島_島々の民謡1:八重山地方の島々の島唄の名前一覧表です。

09_石垣島_島々の民謡2:島唄の数の多さに、豊かな音楽文化が伝わってきます。

10_石垣島_八重山民族園5:家の縁側から見る石垣島の風景です。

11_石垣島_八重山民族園6:垣根には、クロトンなどの植物が植えられています。

12_石垣島_八重山民族園7:庭から、なだらかな石垣島の山々が見えました。

13_石垣島_アカバナー(ハイビスカス):南国の太陽に、アカバナーが咲いていました。

14_石垣島_網張(アンパル)の浜1:網張の浜は、マングローブの密林でした。

15_石垣島_網張の浜2:残念ながら「目高蟹(ミダガマ)」の写真は撮れませんでした。

16_石垣島_於茂登トンネル:オモト岳の下を通る於茂登トンネルです。

17_石垣島_唐人墓1:唐人墓の全景です。

18_石垣島_唐人墓2:唐人墓の屋根の中央部です。

19_石垣島_唐人墓3:唐人墓の屋根の左側です。

20_石垣島_唐人墓4:唐人墓の屋根の右側です。

21_石垣島_水牛:石垣島の水田にいた水牛です。