昭和の沖縄島巡り

昭和の沖縄島巡り、懐かしさがこみ上げる紀行文と歌の数々です

■昭和の沖縄島巡り<<ばんがむり(我んが守り)(宮古島①)>>■

◆行った所: 宮古島(平成3年(1991年))<O025>◆ ▲『ばんがむり(我んが守り)』の歌詞<1>我んが守り ぶどゥわさば ヨーイヨイ姉が漕ぎ ぶどゥわさば ヨーイヨイ ホーイイー (大意) わたしが子守をして育ててあげるからね ヨーイヨイ姉さんがゆらりをしてあげるか</o025>…

■昭和の沖縄島巡り<<多良間島(26枚)・写真集2(多良間⑤)>>■

◆多良間島(26枚)・写真集2(平成3年(1991年))<O024>◆ 01_多良間島_八月踊り_塩川01:真剣な表情が清々しい男の子達の舞いです。 02_多良間島_八月踊り_塩川02:日の丸に、昇り龍が舞い上がる舞台です。 03_多良間島_八月踊り_塩川03:花笠を手に優雅に古典舞踊</o024>…

■昭和の沖縄島巡り<<多良間島(24枚)・写真集1(多良間④)>>■

◆多良間島(24枚)・写真集1(平成3年(1991年))<O023>◆ 01_多良間島_八月踊りの前に1:八月踊りの舞台となる御願所(ウガンジョ)です。 02_多良間島_八月踊りの前に2:この舞台で八月踊りが催されます。 03_多良間島_八月踊りの前に3:御願所(ウガンジョ)です</o023>…

■昭和の沖縄島巡り<<僕の多良間島(多良間島③)>>■

◆行った所: 多良間島(平成3年(1991年))<O022>◆ ▲『懐かしい安らぎが(多良間島を想いながら)』の歌詞<1>寝つけず閉じたまぶたに 浮かぶ島 静かな安堵の心 近づくよ 川の流れる音と 豊かなウージの波 懐かしい安らぎが 島を包んでる ◎八月踊りの朝、空は青々と</o022>…

■昭和の沖縄島巡り<<多良間の八月踊り2(多良間島②)>>■

◆行った所: 多良間島(平成3年(1991年))<O021>◆ ▲人頭税の苦しみと「八月皆納税」「八月御願」・1637年から宮古、八重山に強いられた人頭税の厳しい取立てに苦しめられた島民は、納税が終わる旧暦8月に「八月皆納税」「八月御願」と称して、各御獄に皆納報告と豊年</o021>…

■昭和の沖縄島巡り<<多良間の八月踊り1(多良間島①)>>■

◆行った所: 多良間島(平成3年(1991年))<O020>◆ ▲「多良間の八月踊り」は「国指定重要無形民俗文化財」・多良間島は、宮古島と石垣島の中間に位置する小さな島ですが、旧暦の八月、三日間にわたり開催される「多良間の八月踊り」は、島人の手による見事な組踊り(く</o020>…

■昭和の沖縄島巡り<<石垣島・写真集(石垣島⑤)>>■

◆石垣島・写真集(21枚)<昭和60年(1985年)><O019>◆ 01_石垣島_島影:石垣島のなだらかな島影です。 02_石垣島_八重山民族園1:名蔵湾の網張(アンパル)にある八重山民族園です。 03_石垣島_八重山民族園2:広々と開放的な沖縄旧家の屋内です。 04_石垣島_八重</o019>…

■昭和の沖縄島巡り<<唐人墓(石垣島④)>>■

◆行った所: 石垣島(昭和60年(1985年))<O018>◆ ▲チャイニーズ・シアターを思わせる唐人墓・タクシーを飛ばして網張(アンパル)に行った帰り道、唐人墓に行きました。ロサンジェルスのチャイニーズ・シアターを思わせる外観の唐人墓ですが、その碑文からは、石垣島</o018>…

■昭和の沖縄島巡り<<網張ぬ目高蟹ユンタ(アンパルぬミダガマユンタ)(石垣島③)>>■

◆行った所: 石垣島(昭和60年(1985年))<O017>◆ ▲網張(アンパル)は、私の憧れの地・網張は、石垣島の西側、名蔵(なぐら)湾に面する浜辺です、そして、私にとって網張は、石垣島民謡『網張ぬ目高蟹ユンタ(アンパルぬミダガマユンタ)』を、初めて聞いた時からの憧れの</o017>…

■昭和の沖縄島巡り<<-僕の月ぬ美しゃ(ツキヌカイシャ)(石垣島②)>>■

◆行った所: 石垣島(昭和60年(1985年))<O016>◆ ▲『月ぬ美しゃ(三和の想い出)』の歌詞<1>ウージ畑にななめにそそぎ 遠い波の音と交わり手の届くくらい近く あんなに大きくあるお月様 ▲お月さまの光が、さとうきび畑に降り注ぎます・あんなに大きく、あんなに近</o016>…

■昭和の沖縄島巡り<<-月ぬ美しゃ(ツキヌカイシャ)(石垣島①)>>■

◆行った所: 石垣島(昭和60年(1985年))<O015>◆ ▲『月ぬ美しゃ(ツキヌカイシャ)』とM子さん・石垣島の子守歌『月ぬ美しゃ』を聞くと、石垣島生まれのM子さんとの思い出が、心にベールのように重なってきます。 ・大学1年生、サークル主催のダンスパーティーで出</o015>…

■昭和の沖縄島巡り<<-島の南に住む人(西表島③)>>■

◆行った所: 西表島(昭和60年(1985年))<O014>◆ ▲島の中央から南西側は「東洋のガラパゴス」・西表島の集落は、二つ港を中心に島の上半分に集中しております。島の中央から南西側は、地図上に道すらない原生林の森と川があり、天然記念物「イリオモテヤマネコ」など</o014>…

■昭和の沖縄島巡り<<西表のコーヒー農園(西表島②)>>■

◆行った所: 西表島(昭和60年(1985年))<O013>◆ ▲「西表島でコーヒー農園を始める」とN氏・「彼女と西表島に移住する。」と、N氏から聞いたのは、90年代、私の東京出向も終わりに近い頃でした。・「西表島に行って何をするの?」という私の問いに対して、「西表で</o013>…

■昭和の沖縄島巡り<<星立(ほしだて)のうた(西表島①)>>■

◆行った所: 西表島(昭和60年(1985年))<O012>◆ ▲星立(干立)集落と夫婦岩・星立は、西表島の西側に位置する細長い集落です。集落の前の浜には『星立のうた歌』に出てくる大小の岩(夫婦岩)があります。 ▲『星立のうた』は、ユタ(巫女)の歌・『星立のうた』は、元</o012>…

■昭和の沖縄島巡り<<波照間島・写真集(波照間島⑤)>>■

◆波照間島・写真集(20枚)<昭和64年(1989年)><O011>◆ 01_波照間島_サンゴ礁:波照間島の色鮮やかなサンゴ礁が見えてきました。 02_波照間島_島影:波照間島の島影が見えてきました。 03_波照間島_プロペラ機から:プロペラ機から見た波照間島の海です。綺麗でしょう</o011>…

■昭和の沖縄島巡り<<『南波照間』(パイパティローマ)(波照間島④)>>■

◆行った所: 波照間島(昭和64年(1989年))<O010>◆ ▲先島だけに課された人頭税(じんとうぜい)・薩摩の琉球侵略(1609年)の結果、琉球王府は財政に窮乏し、その対策として先島(宮古・八重山の両地方)に限り、1637年から人頭税を課すことにしました。 ・人頭税は、廃</o010>…

■昭和の沖縄島巡り<<オヤケ・アカハチ誕生の地(波照間島③)>>■

◆行った所: 波照間島(昭和64年(1989年))<O009>◆ ▲離島に着いたらレンタル・バイク・離島に着いて民宿に荷物を置いたら、まず私はレンタル・バイクを借ります。離島ではバイク屋さんが、レンタル・バイク屋も兼業している場合が多いです。 ・私のバイクは、心地良</o009>…

■昭和の沖縄島巡り<<毛遊び(モーアシビ)(波照間島②)>>■

◆行った所: 波照間島(昭和64年(1989年))<O008>◆ ▲毛遊び(モーアシビ)は、昔の合コン・戦前の沖縄には「毛遊び」という風習がありました。昼の仕事を終えた農村や漁村の若い男女が、夜に村の広場などに集まり、歌ったり踊ったりして、仕事疲れを発散する風習でし</o008>…

■昭和の沖縄島巡り<<離島の海(波照間島①)>>■

◆行った所: 波照間島(昭和64年(1989年))<O007>◆ ▲離島の海で泳ぐ・沖縄の離島を旅をしたら、その島で泳ぐようにしています。水につかる程度ですが、離島へ行く楽しみの一つです。・海は、島毎に色を持ち、水の暖かさ・やわらかさも違います。今までで一番印象に残</o007>…

■昭和の沖縄島巡り<<与那国島・写真集(与那国島⑥)>>■

◆与那国島・写真集(20枚)<昭和63年(1988年)><O006>◆ 01_最西端之地 :「日本国 最西端之地 与那国島」の碑です。 02_軍艦岩:島の南東部、サンニヌ台の軍艦岩です。 03_立神岩 :島の南東部、サンニヌ台の立神岩です。 04_生年祝い1:沖縄では、還暦、米寿等のお祝</o006>…

■昭和の沖縄島巡り<<軍艦岩と立神岩(与那国島⑤)>>■

◆行った所: 与那国島のサンニヌ台(昭和63年(1988年))<O005>◆ ▲サンニヌ台は、奇岩が見れる与那国島の観光地です・サンニヌ台は、横に細長い与那国島の中心から見て、南東に位置する観光地で、外洋に落ち込む絶壁に沿って、奇岩がそそり立つ男性的で雄大な景勝の地</o005>…

■昭和の沖縄島巡り<<歌謡ショー(与那国島④)>>■

◆行った所: 与那国島の祖納集落(昭和63年(1988年))<O004>◆ ▲『歌謡ショーに行くんだよ~』と、民宿に手伝いに来ているオバさん・民宿に手伝いに来ているオバさんが、朝から何やらうれしそうなので聞くと「今日は、歌謡ショーに行くんだよ~」と、ちょっと自慢げに</o004>…

■昭和の沖縄島巡り<<島の結婚式(与那国島③)>>■

◆行った所: 与那国島の比川(ヒカワ)集落(昭和63年(1988年))<O003>◆ ▲『今晩、比川で結婚式があるよ。』と民宿のオバさん『今晩、比川で結婚式があるよ。歌や踊りもたくさんやるから見てきてごらん。』と、民宿のオバさんが教えてくれました。「でも、比川までど</o003>…

■昭和の沖縄島巡り<<ヤシガニ採り(与那国島②)>>■

◆行った所: 与那国島の祖納集落(昭和63年(1988年)))<O002>◆ ▲「ヤシガニを採りに行くか?」と、地元のオジサン・「ヤシガニを採りに行くか?ヤシガニはうまいぞー!」と言ったのは、地元のオジサン。「今晩をどう過ごそうか?」と考えていた民宿の若者達の答えは</o002>…

■昭和の沖縄島巡り<<生年祝い(与那国島)①>>■

◆行った所: 与那国島の祖納集落(昭和63年(1988年))<O001>◆ ▲与那国島の生年祝いを見ました・私が与那国島を旅したのは、昭和63年(1988年)のゴールデン・ウィークでした。祖納集落の民宿のオバさんが「生年祝いが近くの公民館であるよ。歌や踊りもやるから見てきて</o001>…