昭和の沖縄島巡り

昭和の沖縄島巡り、懐かしさがこみ上げる紀行文と歌の数々です

■昭和の沖縄島巡り<<オヤケ・アカハチ誕生の地(波照間島③)>>■

◆行った所: 波照間島(昭和64年(1989年))<O009>◆


▲離島に着いたらレンタル・バイク
・離島に着いて民宿に荷物を置いたら、まず私はレンタル・バイクを借ります。離島ではバイク屋さんが、レンタル・バイク屋も兼業している場合が多いです。

・私のバイクは、心地良い南風に乗って、島の土にじかに触れる様に走り、サトウキビ畑を抜け、光る海を見ながら、島の名所を気の向くままに巡るのでした。


▲記念物「アカハチ誕生の地」
記念物「アカハチ誕生の地」は、思っていたより小さな記念物でした。ガイドブックに「オヤケ・アカハチ生誕地(喜多)」と書いてあるだけで、ガイドブックの地図上に、場所を指し示す記号はありませんでした。波照間小・中学校のそばを走っている時に、偶然に見つけたという感じでした。

◎記念物「アカハチ誕生の地」です。

▲群雄割拠の時代とオヤケ・アカハチ
十五世紀の八重山は、島毎に力自慢の者が乱立する群雄割拠の時代でした。石垣島西表島与那国島波照間島において島の頂点に立ち、自らを大主(ウフシュ)や按司(アジ)と称し、大きな権力をふるいました。特に、与那国島のサンアイ・イソバや石垣島のオヤケ・アカハチが有名です。


▲オヤケ・アカハチの反乱
この群雄割拠の中から抜きん出たのが、石垣島のオヤケ・アカハチでした。1500年、大きな権力を手にしたアカハチは、首里王府に反乱を企てます。それに対して首里王府の尚真王は、大里親方を総大将にアカハチ討伐の大軍を石垣島に派遣します。反乱は、アカハチの奮戦空しく失敗に終わりました。


波照間島生まれのアカハチは、石垣島で大主まで上り詰めた
・オヤケ・アカハチは、生まれの島の波照間島から石垣島に渡り、大主まで上り詰めた島の英雄ですが、首里からみれば「反逆者」です。

・ガジュマルの若木が一本の生えているだけの小さな「アカハチ誕生の地」記念物。私は、ひっそりと島の英雄を讃える波照間島の人々の想いを感じました。

◎「みんなで守ろう文化財」の看板です。


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安里屋ユンタ(2分14秒)
・沖縄の昔ながらの家の縁側、夏川りみの歌に、爽やかな風が流れました。
・作詞:星 克(ほし かつ) 作曲:宮良 長包(みやら ちょうほう) 歌:夏川りみ