昭和の沖縄島巡り

昭和の沖縄島巡り、懐かしさがこみ上げる紀行文と歌の数々です

■昭和の沖縄島巡り<<「宮古民謡、ナークニーの元歌はどの歌」伝説(宮古島②)>>■

◆行った所: 宮古島(平成3年(1991年))<O026>◆


▲『ナークニー』は、「宮古根」又は「宮古音」と表記
・『ナークニー』は、「宮古根」又は「宮古音」と表記されます。三文字目の「ニー」(根、音)は、歌を意味するので「宮古風な歌」くらいの意味かと思います。

宮古島生まれで、沖縄本島でヒットした民謡のはずなのですが。


▲『ナークニー』の歌詞<1>
昔事やしが 今までも肝にヨ 忘ららんものや ありが情け     

(大意) 昔の事であるが 今までも 心に忘れられないものは あの人の情け


▲『ナークニー』は、どのようにして生まれたか
琉球王朝時代、宮古島の若者達が沖縄本島に留学しました。留学の日々を重ねるうちに、郷愁の思いにかられた若者達は、夜毎集まっては、その思いを宮古民謡にのせて歌いました。

・若者達の歌う宮古民謡を聞いて感動した沖縄本島の人が、耳でコピーした歌を『ナークニー』と名づけました。その歌は、覚えやすく、歌いやすい為、いろいろな歌詞がつけられて、沖縄本島全域に広まりました。

◎東平安名岬の灯台側から見た景色です。

▲『ナークニー』の歌詞<2>
思事や あまた 山程にあてんヨ 渡海ゆ隔じゃみとて自由もならん     

(大意)思うことは たくさん 山程にあるが 海で隔てているので自由にならない


▲「宮古民謡、ナークニーの元歌はどの歌」伝説
・この伝説に従うと、元歌の宮古民謡がある事となりますが、私の知っている範囲ですが『ナークニー』という名前の宮古民謡や、似たメロディーの宮古民謡を聞いた事はありません。

・「宮古民謡、ナークニーの元歌はどの歌」。何か知っている方がおりましたら、是非ご教示をお願いいたします。


▲『ナークニー』の歌詞<3>
鳥や唄るとん 夜や明けて呉るなヨ 稀の手枕の語れでもの     

(大意)鶏が鳴いても 夜よ明けてはくれるな 滅多にない腕枕での契りだから


沖縄本島で開催される「本部ナークニー大会」
・数ある『ナークニー』の中に「本部ナークニー」があります。この歌は沖縄本島の本部(もとぶ)の風物を歌った『ナークニー』です。

・本部半島で開催される「本部ナークニー大会」は、昔から歌われてきた歌詞(2種類)のどちらかを歌います。

・審査のポイントは、①歌唱度 ②想い入れ度(情度) ③衣装・パフォーマンス度の3点です。私は、②想い入れ度(情度)が、一番難しいのではないかと思います。

・「本部ナークニー大会」、そして石垣島の「トゥバラーマ大会」といい、一つの歌で大会まで開催されるのは、その歌の魅力もありますが、沖縄の人々の歌にかける情熱の賜物ではないかと、私は思います。


▲CD1枚すべてが『ナークニー』
・私は、1枚がすべて『ナークニー』のCD(全14曲)を持っています。
土地を歌った「今帰仁ナークニー」「本部ナークニー」、
職業を歌った「馬車持ちゃナークニー」「道ナークニー」、
作曲者名の入った「富原ナークニー」等、バリエーションも豊富です。

・こんなに種類が多いのは『ナークニー』が覚えやすく、歌いやすい事もありますが、沖縄の人々の遊び心と才能のなせる技だと思います。また、こんなにも沖縄の人々に愛される『ナークニー』も幸せ者ですネ。


www.youtube.com

・ナークニー(3分26秒)
嘉手苅林昌のナークニー、シブイですね~
・曲:沖縄民謡 歌:嘉手苅林昌