昭和の沖縄島巡り

昭和の沖縄島巡り、懐かしさがこみ上げる紀行文と歌の数々です

■昭和の沖縄島巡り<<-月ぬ美しゃ(ツキヌカイシャ)(石垣島①)>>■

◆行った所: 石垣島(昭和60年(1985年))<O015>◆


▲『月ぬ美しゃ(ツキヌカイシャ)』とM子さん
石垣島の子守歌『月ぬ美しゃ』を聞くと、石垣島生まれのM子さんとの思い出が、心にベールのように重なってきます。

・大学1年生、サークル主催のダンスパーティーで出会った小柄なM子さんは、とても輝いていました。ダンスの曲がジルバに変わった時「僕、ジルバは苦手なんだ」と言うと「二人で作って踊ちゃいましょう!」と明るく言う、ユニークで不思議な女の子でした。

 

▲「バラエティーショー」とM子さん
・公園のベンチで待っていると、M子さんが走ってきて「バラエティーショーのチケットが当たったの!もう始まるの!」と、はずむ息で言うので、二人は一目散に会場へ走って行きました。

・私は「バラエティーショー」の舞台と、大きな声で笑うM子さんの横顔を交互に見ながら、とても幸福な時間を過ごしました。その時の「バラエティーショー」で知名定男さんが「バイバイ沖縄」と「赤花(あかばなー)」を歌った事を覚えています。

石垣島のなだらかな島影です。

石垣島に帰るM子さんを見送りに
・正月休みで石垣島に船で帰るM子さんを見送り行きました。するとM子さんから「出航まで時間があるから、教会のクリスマスミサに行きましょう!」と誘われました。

・M子さんが通う教会では、荘厳なクリスマスミサが行われていました。ミサで、初めて見た「洗礼」の儀式には、驚きの方が強かったです。

 

▲M子さんの悩み
・M子さんは家族の事で悩んでいた様でしたが、生来鈍感な私は、そんなM子さんの悩みを聞いてあげたり、助言をしてあげるという頭がありませんでした。

・後年、私の母が急死した時、心の混乱がおさまらず教会に通いました。あの当時、M子さんは何も言いませんでしたが、相当悩んでいたのだろうと、私も教会に通いながら、やっと思いやることができました。

◎ミルク(弥勒)様は、五穀豊穣の神様です。

▲M子さんと結婚まで… 
・大学1年生、受験勉強から開放され、おもしろそうな事がいろいろ目に入ってきました。封印していた音楽活動も再開し練習にも余念がない日々でした。

・その頃、人伝てに「M子さんが高校時代に好きだった人と再会した」という話を聞き、その頃からM子さんとは疎遠となり、今にいたっております。

・もし大学3年生くらいに、M子さんと出会っていたら、もっと違った展開となり、もしかしたら、結婚していたかもしれません。何故ならM子さんは、今まで出会った女の子の「マイベスト1」だからです。


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・110_月ぬ美しゃ(歌唱版)【ReMix2022】(3分28秒)
石垣島の子守歌「月ぬ美しゃ」は、沖縄を代表する子守歌です。」
・曲:八重山の子守唄 編曲:南波照間 雅彦 歌:南波照間 雅彦